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第一章《 誕 生 》


 ノストール王国の静かな夜。
 アルティナ城、ラウ王家の居城の一角で異変は起きていた。
 かすかな物音が、子供部屋のベッドの中でぐっすりと眠り込んでいた五歳の少年の目を覚まさせた。
「?」
 クロトは寝ぼけまなこでむくりと起き上がると、どうして自分が目を覚ましてしまったのかわからず、ぼーっとしていた。
 その耳に、廊下でなにかが動いているような、奇妙な音が聞こえてきた。 
(……まさか、お化け?)
 真っ暗な部屋の中で、クロトは今が真夜中だということに気がついて、全身に鳥肌が立った。
 ラウ王家の三番目の王子であるクロトは、夜に目を覚ますのは、物心ついてからこの夜が初めてだったのだ。
 昼は城の中を駆けまわり、夜はベッドに入ると同時に朝までぐっすりと眠ってしまう毎日をすごしているわんぱく王子だった。やんちゃ盛りであっても、本当は王妃である母と一緒に眠りたいと思っている五歳の幼子には違いなかった。
 クロトは暗闇の中、一人で目を覚ましてしまったことに戸惑うように不安気な表情を浮かべる。
 ただでさえ、シンと静まり返った闇の中の広い寝室は、いつもの自分の知っている世界とは違い、なにかが出て来そうな恐怖をさそう。
 しかも、部屋の外ではなにかが動き回っているようなのだ。
 アルティナ城の王族の居住部分へ続く扉の前には、昼夜、警護の兵士がおり、決められた人間以外、怪しいものが勝手に立ち入ることは当然、できないようになっている。
「見回りかな?」
 クロトは毛布を頭からすっぽりかぶると、さらにじっと耳をすました。
 だが、廊下から聞こえてくる音は人の足音とはまったく違う様だった。
 布のすれるような本当に静かな奇妙な足音なのだ。
 かすかなその音は、しだいにクロトの部屋に近づいてくる。
 ゴクン。
 クロトののどが鳴った。
 怖いような、それでいて少しだけドキドキする感じが全身に広がっていく。
 やがてその足音は、クロトの部屋の前まで近づいてきた。
 が、そのまま通りすぎて行ったようだった。
(なんだろう?)
 足音が自分の部屋を素通りしてしまうと、その安心感に、今度はドアを開けてその正体を確かめてみたい衝動にかられた。
(少しだけのぞいてみようかな……)
 一度そう考えると、クロトの頭の中はもう「正体を見てやる!」という意思に変わっていた。
 すでに恐怖心より、好奇心のほうが勝ってしまっていた。
 アルティナ城は歴史のある古い城だったが、これまで幽霊が出るといった話は聞いたことはなかった。
 クロトは、絵本や村の老人、子供たちが話す昔話を思い浮かべてみた。
(こわいお化け、幽霊かな? それとも夜しか会えない妖精かな?)
 小さな体はそっとベッドから抜け出すと、裸足のまま、ゆっくりゆっくり廊下へ出る扉に近づいていく。
(夜の妖精だったら、人間に見つかると消えちゃうって聞いた。でもひょっとしたら友達になれるかもしれない。静かに……静かに…) 
 自分にそう言い聞かせながら、息が詰まるような緊張感の中、クロトは扉の取っ手に手をかけた。
 足音はしだいに遠ざかっていく。
(ゴクン) 
 大きな深呼吸をして、扉を静かに押し開いてゆく。
 そこにできたわずかなすき間から、廊下をのぞき見た瞬間、それを目にしたクロトの体が動かなくなった。
(おんなのこ?)
 薄暗い通路を、薄い光りにつつまれた小さな少女の後ろ姿が、まるで滑るように廊下を進み、螺旋階段に続く扉のほうへと遠ざかって行く。
(あ、行っちゃう)
 あわてて後を追おうとして、部屋から出ようとした時、背後から黒い影がクロトを覆った。
「お前にも見えるのか?」
 いきなり頭上から声が降って来て、クロトは驚いて飛び上がった。
「い、う、う、ああああ……??」 
「おチビの臆病者」
「静かにしろよ」 
 見上げると、そこには夜着にガウンを羽織った二人の兄の神妙な顔が並んでいた。
「兄上ぇ……」
 ホッとして泣きたいような、驚かされて怒りたいような、なんともいえない表情が交互にクロトの顔の上に現れる。
「おどろかさないでよぉ」
「勝手に驚いたのはおチビですよ」
 四歳上の兄、アルクメーネがニヤニヤと笑う。
「いいから、そんなこと行ってるとあの子が…」
 長兄、皇太子であるテセウスの指さす方向を見ると、少女の姿は扉の向こうに消えていくところだった。階段を下りれば、城の外へ出る広間へと行くことができる。
「あれ……女の子のお化け?」
 二人の兄王子の出現に、しぼまりかけていた好奇心が元気になってくる。
「足音はするんだから、お化けじゃないみたいだ。追いかけてみよう」
 テセウスが目を輝かせて提案する。
 その言葉にアルクメーネが、クロトの部屋の中からガウンをもって来て末の弟に羽織らせ、靴をはかせた。
「正体を確かめるんですね」 
 三人は互いに顔を見あわせるとうなずき、少女の後を追いはじめた。
 夜の城の中を、滑るように進んでいく少女の姿と、息を殺して尾行していく三人の王子たちの姿があった。
 その幼い少女を追いかけるうちに、三人はあることに気がついた、かすかな足音がしているにもかかわらず、少女の体は床の上からほんの数ミリ浮いているのだ。しかも、行く手をふさぐはずの大きな扉さえ、少女が触れてもいないのに自然に開いていく。  
「やっぱり、お化けなのかな?」
 クロトは、十二歳の誕生日を迎えたばかりの長兄の手をしっかりと握りしめる。
 やがて少女は、何にも遮られることなく、城の外を出て正面の門を抜け、森のほうへと進んでいった。
「テセウス兄上、やっぱり変ですよ。警護の兵士の姿がどこにも見えない。無用心です」
 品のよい顔立ちのアルクメーネが、眉間にまゆを寄せる。
「外に出るの?」
 普段はわんぱく坊主のクロトだが、さすがに夜の城外に出ることに戸惑ってか、長兄の手を引く。
「行こう」
 テセウスと、アルクメーネは両側から、クロトの手をしっかりと握りしめ、少女のあとを追うために歩き始めた。

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